おきて5 寄り添う大人になる(その1) ― 2012/02/01
またしばらくお付き合いください・・・
「声を出せ」(怒) 良く耳にする言葉ですね。
出せなくて困っているのは当の本人なのに 大人は声を出せ と指示するだけ
日本の教育現場や他のスポーツの場でも
「自分で声を出しなさい」が根強いそうです
「日本のスポーツは武道文化。精神論や修行論になる。だから鍛えないといけないし、教えないといけない。鍛練、訓練してそれに耐えなければならないという図式になる」のだそうです。
それと、もうひとつ 「日本の古い指導方法は「強い子のためのスポーツ」になっている」とも言っています
本来 子供のスポーツは遊びでなければならない、弱い子は弱い子なりに強くなるために努力すれば良いし、強い子は強い子で弱い子の気持ちがわかればよいのでは?と言っています
確かに昔の日本のスポーツ界の選手宣誓は「正々堂々と戦う事を誓います」
オリンピックでも、「日の丸に恥じないよう戦ってきます」なんてインタビューが
ほとんどではなかったでしょうか?
遊び心がないというか、まるで戦争にでも行くような悲壮感さえ (^_^;)
おきてその5 寄り添う大人になる(その2) ― 2012/02/05
それが、Jリーグが始まった頃からでしょうか?(違ったらすみません)
「自分のために」とか「楽しみたいと思います」なんてコメントが出始めて、
少し違和感を覚えたような気がしますが、
しかし、大人のスポーツも 特にサッカーはそういう感覚が必要なのかもしれません
失敗するのが当たり前、失敗を恐れずチャレンジするのがベストプレイのサッカーだからこそ自然に出た言葉なのでしょうね、
今の日本の選手 オリンピックでさえ、そのようなコメントが増えて来たように感じるのですが・・・
バルサの選手はホントにストリートサッカーを楽しんでいるようにサッカーをしますよね。
しかし、今でも多くの大人達が古いやり方のままなのだそうです。
勉強を例にとると、
子供と勉強しているとき「なんでこんな問題も出来ないの」(怒) (^_^;)
学校でもきっと、わかるまで教えてくれることはなかなか時間的な問題等からないのかもしれません
塾では、わからないことをわかるように教えてくれるから、子供は塾では勉強するのだそうです。
わかれば 勉強って楽しいですよね、わからないと これ程苦痛な事はありません、
まして、「なんでこんなこともわからないの」なんて怒られたら・・・
わからないのは修行(勉強)が足りない なんて(~_~;)
子供がシュートを外したら、「なぜ外す」「考えろ」「練習が足りない」 身に覚えのある言葉ばかりです。
そこで 一呼吸
「キーパーの位置見ていたかな?」
「ボールだけしか見てなかった」
「大丈夫 良いシュートだったけど、今度はキーパーの位置を見たらもっと良いかもね?」
「なんでシュートがしっかり当たらなかったかな?」
「スピードが早過ぎた」
「惜しいシュートだったね、今度は 蹴る瞬間しっかり踏み込んでみよう?隣で走りこんできた仲間見えた?」etc
そんな言葉をかけられたら、失敗してもチャレンジする子にならないでしょうか?
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